素人の政治考察日記

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村上春樹 「沈黙」 考察

 

村上春樹レキシントンの幽霊」に収録されている「沈黙」を読んだので軽く考察していきたい。

 

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

 

 

「沈黙」は大沢を語り手として展開する物語であり、あくまでも大沢の視点を中心に彼の学生時代の同級生であった青木との衝突が描かれている。「僕」は小説の冒頭で大沢は物静かで出しゃばらない性格であり、周りから好かれるような人間であると述べている。それに加え、大沢自身の昔話を聞いてもそこから想像彼の人物像は「性根の腐っている同級生からの悪質ないじめに必死で耐えた忍耐強い青年」であり、小説全体を通して最初から最後まで大沢はひたすらに「良い人物」として描かれている。

 

 しかし、果たしてここで描かれている「良い人物」である大沢は本当に存在しているのだろうか。確かに、「僕」の大沢に対する評価や彼が自身で語った彼の強烈な青春時代、小説内で描かれている彼の話し方などだけに注目すると、大沢はとても誠実でおおらか人物であるということに事に多くの人は疑問を抱かないだろう。しかし、この大沢に対する人物評価はあくまでも「こちら側」からの視点の上でしか成り立たないのである。より公平な判断をするためには「むこう側」である青木サイドの視点からも大沢の昔話を考察する必要が出てくる。このことを考慮に入れ、もう一度注意深くこの小説を注意深く読んでみると、大沢が語った彼の青春時代のエピソードには数多くの疑問点、然り矛盾点が生じていることに気が付だろう。

 

 84ページの頭で大沢は「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。」とこのように述べている。彼のこの言い分をここでの価値観の基準としてもう一度大沢が語った昔話を熟読すると彼が行っていることと言っていることが全く持って矛盾していることに気が付く。61ページの終わりのところで「青木が僕のことで何かあまりよくない噂を広めているということを誰かが教えてくれました。僕が試験でカンニングをしたというのです。それ以外に僕が一番を取る理由が考えられないというのです。僕はその話を何人かの級友から聞きました。」と述べているが、これこそ大沢が言う「他人の言いぶんを無批判に受け入れてそのまま信じてしまう人物」的行動なのではないだろうか。

 

 さらに、高校生時代の青木による復讐の話に関しては、大沢の話を聞く限り青木が大沢をシカトするようにクラスに働きかけたという証拠は何一つ見当たらない。これは大沢自身が言う「自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽちも、ちらっとでも考えたりはしない」ということなのではないだろうか。

 

 この小説を通して作者は読者に、物事を一つの視点からしか理解しようとしないことに対する危険性、そして、様々な視点から物事を見る重要性を説いているのではないかと私は考えている。大沢の言う「「他人の言いぶんを無批判に受け入れてそのまま信じてしまう連中」というのは、もしかしたら、大沢の言うことを鵜呑みにしてしまう私たち読者に向けられた言葉であり、村上春樹から私たちに送られた警告なのかもしれない。